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コージーミステリ試し読み

未訳のコージー作品をちょっとだけご紹介

※当ブログに掲載の記事は、原著者に許可をいただいて瀬尾久美が翻訳しています。タイトルやシリーズ名なども暫定的なものです。

『死の名残り』  ウェンディ・ロバーツ

 

 彼女は洗剤液にブラシを浸し、大きく弧を描くようにベッドルームの壁をこすった。目の前の仕事に集中していても、背後の人物を無視しないようにつとめた。

「ほんっと、不公平だよな」男が哀れっぽく嘆いた。

「ジェイコブ、そのことなら昨日からもう何度も話したでしょう」セイディは洗剤がしたたるブラシをもう一度もちあげながら冷静にこたえた。「いくら話しても起きてしまったことは変えられないわ。あなたがしたことよ。いってみれば、自分で用意したベッドなんだから自分が寝るしかないのよ」

「つまんねえ例えだな」

「悪かったわね」それでもセイディは笑ってしまい、それから一歩下がってしあがりをチェックした。すこし離れて見ないと全部きれいになったかどうか、わからないこともあるのだ。

「なにかやり方があるはずなんだ」男は不平をもらした。

「ジェイコブ、はっきり言わせてもらうわ。あなたは死んだの。ベッドに座って、この壁全体に脳みそをぶちまけたのよ」彼女は決然とした顔で男に歩みよった。「申し訳ないけど、そうと決まってしまったことからは引き返せないものなの」

 男は痛そうな顔をした。痛いのはなにも頭部の左側全体がなくなっているせいばかりではない。彼がためらっているのを非難するつもりはない。この人生から離れていくことを恐れるのは自然なことだ。でも、誰かが彼の背中を押してやらなくてはならない。

「だってあれは事故だったんだぜ。弾が入ってるなんて知らなかったんだ」

 その通りであることは知っていた。ジェイコブの残されたほうの目がじっと見つめているのが感じとれた。

「信じてくれよ。ほんとなんだから」

「じつはね、もしあなたが自殺したんだったらこんなふうに話したりしてなかったわ。どうしてだかわからないけど、自分の意志で命を絶ってしまった人はわたしには見えないのよ」

「あんたの家族も鼻が高いだろうな」男は皮肉っぽく言った。「それとも家族全員イカレてんのかい?」

「同じように呪われている人はいないわね」セイディは心からそう言った。「両親はわたしがこんなふうだって知らないし、妹はまだ馴染めていないわ。親友なら〈オプラ・ショー〉に出なさいって言うでしょうね。でもわたしのことはもういいの」彼に刺すような視線をむけた。「そこでウロウロしてちゃだめよ。もう行かなくちゃ」

 ジェイコブは部屋のまん中に座りこんだ。まさにその場所に彼のベッドがあったのだが、血が染みこんだマットレスはすでに倉庫に運び込まれ、安全に保管できるバイオハザードルームで医療廃棄物処理業者が持って行ってくれるのを待っている。彼はそこに、ただベッドが見えなくなっているだけのように浮かんでいた。

「で、俺はどうすりゃいいんだ?」男は悲しげにきいた。

 セイディはため息をついた。「リラックスして身をまかせればいいの。逆らわずになるがままにして」彼の肩に置こうとして伸ばした手が通り抜けてしまったのは、もちろん彼の実体がそこにはないからだ。霊魂と物理的に接触しようとするときいつもそうなるように、嫌悪感で全身に震えが走った。

「もううんざりだよ。わかった、やってみよう」勇気を出して目を閉じた彼は、長くゆっくりと最期の息を吐きだした。

 ジェイコブは、あるいはジェイコブの亡霊は、まずチラチラと揺らめき、しだいに薄れていってついには消え去った。

「やっと行ったわね」

 セイディはいら立ったように息を吐いた。死者の相手をするのは、もどかしいこともある。彼らの旅立ちを手伝うのはうれしいことではあるが、もっと話を聞いておしゃべりを減らしてくれればいいのに、とも思う。だが、死者たちはただ話を聞いてもらいたいだけだということもわかってはいるし、聞いてあげられるのは彼女だけなのだ。

 ひからびたオートミールのように張りついた脳みそのかけらをこすり落とそうと、セイディは再び壁に向かった。

「またやってたね」ザックの声は使い捨ての紙製マスクのせいでくぐもっていた。彼は話がしやすいようにセイディの方に歩いてきた。「消耗品をとなりの部屋に運ぼうとしたら、話してるのが聞こえたんだ」

「ごめん」セイディは肩越しに言った。でも悪いとは思っていない。

「死者に話しかけるときは、せめて俺が近くにいないときにしてくれよ」ザックは両手を腰に当てて立っていた。彼が身につけている使い捨ての青いタイベック・スーツやマスク、オーバーシューズはセイディのと同じものだ。

「わたしは待てるけど、相手が待てないこともあるのよ」きっとザックはゴーグルの奥であきれた目をしているにちがいない。

「もうひとつの容器を倉庫に運ぶよ」

「そうね」セイディはもう仕事に戻っていた。「わたしはもう少しここでやっていくから、明日の朝には仕上げられるわ」

「あまり遅くまでやってるとドーンのパーティに間に合わないよ」

「ああ、そうだった」セイディはため息をついた。「あんまり時間はなさそうね」

「妹の三十才の誕生日パーティに腐敗臭を漂わせていくつもりなら別だけどね」ザックはくすくす笑ってウィンクして見せた。

 ザックの言うとおりだ。腐乱死体の臭いを洗い流すには五分ばかりのシャワーではたりない。セイディはしぶしぶ現場をかたづけて家路を急いだ。たっぷりと時間をかけてシャワーを浴び、着替えながら時計に目をやって焦りを感じると大急ぎでドアから飛び出した。

 バラード地区にあるドーンの家まではほんの三キロほどだが、霧雨のせいで道路が滑りやすくなっていた。セイディは気をつけながらミッドヴェイル通りへの角を曲がり、ワイパーの音が気にならないようにラジオの音量を上げた。

数分後、ドーンの家がある通りで歩道の脇に車を止め、ドアを勢いよく開けて、歩道に覆いかぶさるように枝を伸ばしたスギの木をよけながら家に向かって走った。玄関まで来るころにはもう、中から〝ハッピーバースデー〟を大声で合唱するのが聞こえていたので、ノックを省略して中に入った。歌が終わるまでに四十人ばかりあつまった人の後ろにまぎれこむことができた。ドーンは大げさに目を閉じて願い事をすると、拍手で盛りあがる中、キャンドルを吹き消した。

「あぶなかったな」ザックがセイディの耳元で言った。

「遅れてきたのに気づいたかしら?」

「大丈夫だろう。もう飲んでるようだし」

 セイディはドーンに目をやった。お酒で顔を赤らめ、注目を浴びてすっかり有頂天になっている。長い茶色の髪を後ろでまとめ上げ、えりぐりの深い赤いセーターを着ている。セイディはジャケットを脱いでイスの背にかけるとダイニングのテーブルに向かって人混みをかき分けていった。

「セイディ!」ドーンのボーイフレンドのノエルが大声で呼んだかと思うと腕をとってぎこちなく抱きよせた。「間に合ったんだね!」

「大事な妹の誕生日に遅れたりしないわよ」無理に笑顔をつくってこたえた。

「来ないよりはましね」ドーンは皮肉まじりに言うと、ケーキにたっぷりとかかったチョコレートを指先にとってなめた。

「遅くなってごめんね」セイディはかがんで妹の赤くなった頬にキスした。「とうとう三十才になったのね?」ドーンをじろじろと見るふりをしてみせる。「ということは公式にオバサンになったってことで、それはつまり私のほうはとんでもなくオバサンだってことね」

「三十二ならとんでもなく、ってことはないわ。老人ホームに放りこむまでにはまだまだ時間があるわよ」ドーンがからかった。「髪を切ったのね。似合ってるじゃない」

「そう?」セイディはとっさにボブヘアに手をやった。スタイリストがしきりに勧めるので、ブロンドのハイライトも入れた。いまだに鏡を見るたびにどきっとする。

「長いのが好きなんだと思ってたわ。どうして切ったの?」

「ちょっとそんな気になっただけよ」セイディは肩をすくめた。ドーンがほんとうのことを知りたがるわけがない―――髪が長いと腐敗臭がとれにくい、だなんて。

「ケーキを配るのを手伝って。早く帰ったりしないでね。あとでサプライズがあるんだから」

 ケーキをのせた紙皿を持てるだけ持って、顔が痛くなるほどの笑顔で配った。作り笑顔をやめたセイディは、すみの方でノエルに熱烈なキスをしているドーンに顔をしかめた。まったく、あんなに幸せそうじゃなければいいのに。幸せすぎなければ。

セイディは二つ残ったケーキを持って、ザックを探しにいった。彼はリビングで飲み物を片手に、かわいらしい赤毛の女性と話していた。.防護服を着ていないザックはかっこいい。細身のリーバイスをはいて、オリーブ色の肌を引き立てる緑の長袖Tシャツががっちりした肩にはりついていた。最近伸ばしだした濃い色の髪が角張ったあごの頑固そうな印象を和らげている。ザックは苦もなく女性を惹きつける。難しいのはその関係を続けることのほうだが、彼は恋愛体質ではないような気がした。

 ザックが若い女性に近づくチャンスを邪魔しないようにひきかえしたセイディはソファの腕に腰を下ろした。二皿のケーキのバランスをとりながら、近くにいた二人の女性の会話に興味があるふりをする。

「お仕事は何をしてるの?」赤毛女が思わせぶりに髪をかきあげながらザックに聞いた。

 ちょうどいいわ。セイディは少しだけからだを傾けた。そうせずにいられなかったのだ。

「特殊な清掃会社にいるんですよ」ザックは一八〇センチ近い背筋をぴんと伸ばしてこたえた。

 悪くないわ、とセイディは思った。自分でもそういう言い方をしたことがある。このまま赤毛女がスルーしてくれればなにも問題はない。

「きみはどうなの? 当ててみようか……モデルかな」

 セイディはあきれた。

「歯科衛生士よ」にっこりした彼女はお世辞に気をよくして、お上品に飲み物をすすった。「特殊な清掃会社ってなにをするの?」

「たいしたことはしてないさ」ザックはさらりとこたえた。「誕生日の彼女とはどこで知り合ったの?」

「お隣さんなの。ほんの数件先に住んでるのよ」赤毛女はすっと手を伸ばして、ザックのシャツから見えもしない糸くずをつまんだ。「それじゃ、特殊な清掃会社はどんなものをきれいにするのかしら?」

 そろそろ助けが必要なころあいだ。

「ケーキはいかが?」セイディは立ち上がって、ザックと彼の未来の恋人にケーキを差し出した。

「ちょうど欲しいと思ってたところだ」ザックは黒い瞳でセイディの目を真剣に見つめた。

 セイディは笑顔を返した。ザックが言っているのがケーキのことではないのは間違いない。一時的にしても助けが入ってほっとしているようだ。二皿とも受けとって、一つを赤毛女に勧めた。彼女はつねにダイエットしているタイプらしく、案の定ケーキを断ったので一皿はセイディにもどってきた。

「なにを取り逃がしたかわかってないのね」セイディはケーキにフォークをつきさして一切れ口に運びながらモデルのような歯科衛生士に言った。チョコレートの層の間にカスタードがはさまれている。ねっとりした生地と色をみて、死んでから放っておかれた死体の体液をスポンジで吸い取ったことを思い出したが、動じなかった。セイディはザックのほうを見た。彼もカスタードを見つめていて、同じことを考えているのかもしれなかった。

「あなたが歯科衛生士をしてるって聞こえたんだけど」口をいっぱいにケーキをほおばったセイディがきいた。「それってとってもおもしろそうだわ。そうじゃない、ザック? きっといろんな職業の人がくるんでしょうね」

「そうでもないわ」赤毛女はうすら笑いを浮かべた。「口なんてどれを見ても同じよ」

みんなでお行儀よく笑った。

「あなたの特殊な清掃会社って、有害ゴミとか扱っているんじゃない?」

「まあね」ザックがこたえた。「じっさい、血液汚れの原状回復とかもあるけど」

 (やるだけはやってみたわ)と胸の内でつぶやいたセイディは、部屋を横切ってドーンの友人の一人が気前よく飲み物をついでいる即席のバーにもどっていった。かなり濃いめのジントニックにくし形に切った大きなライムを一切れ、氷のあいだに浮かべてもらった。飲み物をすすってから、ザックが仕事に関する彼女の質問をかわせただろうかと混み合ったリビングを振りかえった。

 セイディは赤毛女が本当のことを知ったまさにその瞬間を見てしまった。はじめは目を見はって口をあんぐりと開けた驚きの表情。つづいて、混じりけのない純粋な嫌悪感。

 セイディは困ったような苦笑いをグラスで隠した。世間からつまはじきにされるのはこの仕事の副産物みたいなものだ。そのとき両親が玄関から入ってきたので、困っているザックを眺めるという楽しみは中断された。二人がくるとは思っていなかった。両親とは今日の早い時間に昼食をともにしたと、ドーンから聞いていたからだ。

 ノエルが両親に歩みよって、ドーンが待っている部屋の片すみにひっぱっていった。

「さて、みなさん。ちょっといいですか?」ノエルは暖炉のそばにあるイスの上に立って両手をふりまわしていて、なんだかばかげて見えた。

 ドーンがくすくす笑いながら彼をひっぱり降ろし、並んで立った。部屋の話し声が静まったところで、ノエルがわざとらしく咳払いした。

「ぼくらの家族と、ごく親しい友人たちに会えてうれしいです。ドーンとぼくは、大切なことをお知らせするのにこれ以上にふさわしい場所はないだろうと思いました」効果をねらったようにそこで間をおいた。「さっきドーンに、ぼくと結婚してほしいといったら、イエスという返事をくれました」

 祝福の声があがり、みんなが二人のまわりに集まってお祝いにかわるがわる抱きしめた。母はうれし涙をうかべ、父は誇らしげに胸を膨らませて一歩前に出るとノエルの手をとって熱い握手をかわした。

「あんまりうれしそうじゃないな」ザックがセイディの耳元でささやいた。

「わかるわけないでしょ」グラスのなかにつぶやいたセイディはいそいで残りを飲みほした。

「わかるさ。簡単だよ。あいつが嫌いなんだろ。顔にそう書いてあるぞ。ところで、それ以上きつく握りしめたら、グラスが割れて妹さんの家の床が血だらけになるぞ」

 セイディはグラスをサイドテーブルに置いてから、強く頭をふった。「ノエルはいい人よ。嫌ってなんかいないわ」

「それならどうして……」

 セイディは顔をそむけると、人ごみをかきわけて静かな廊下にでた。ザックがついてきてもまったく驚きは感じなかった。

「すまない。おれの出る幕じゃなかったな」

「ええ。そうよね」セイディは認めたものの、彼の傷ついたような顔を見てその場を明るくしようと笑みをうかべた。「ほら、首をつっこみたがるのは元警官のクセでしょ」

「首をつっこんでるんじゃない。心配なだけだ。きみのことが気になるんだよ、セイディ」

 セイディは居心地悪そうに足を踏みかえた。

「もちろんよ。友だちだもの、そうでしょ?」彼の真剣な目つきと向きあうかわりに、肩越しに向こうをみた。

「きみは、だれもおれを相手にしてくれない時に雇ってくれた。だからまあ、おれたちは友だちだ。ただ、ほんとうの友だちなら、どういうことなのか話してくれるんじゃないかな」

「あのね、ほかに内臓を拭いたりするのをいっしょにやりたい人がいるわけじゃないけど、でも話したくないこともあるのよ。だれとも」

 ザックはうなずいて立ち去ろうとした。セイディは仲直りの必要があると感じて、彼のそでをひっぱった。

「待ってよ」ザックを主寝室につれていってドアを閉めた。

「これを見て」そう言ってドーンの化粧台からシロメの写真立てをとりあげ、ザックの目の前につきだした。「これが誰だか知ってるわよね?」

「もちろん」ザックは写真をセイディの手からとって、不安そうに顔をしかめた。「きみの兄さんのブライアンだろ」

「それで?」

「それで、なんだい?」

「よく見てよ」セイディは写真を指さして強調した。

 写真はブライアンが二十代後半のときのものだ。彼の自慢の古いムスタングのボンネットに寄りかかっている。その笑顔からは、一年後に自宅のバスルームで自分の頭を吹き飛ばすことを予感させるようなものはこれっぽっちも感じられない。

「見てわからない?」セイディは辛抱づよく言いつのった。「ノエルは彼にそっくりなのよ。鼻も、髪も、目も……双子といってもいいくらいだわ!」

「そうかな?」ザックは写真を引きよせて、ちらりと見ただけでかえしてきた。暗い色のふさふさした髪をかきあげる。「そうは見えないけどな」

「本気なの? ねえ、ちゃんと目を開けて! ノエルもブライアンも背が高くてやせてるし、ブロンドの髪を少し長めにカットしてるわ」

「セイディ、いまきみが言ったことはシアトルにいる何千人もの男にあてはまるし、このパーティに来てるだけでも十人はいるぞ」

 ザックの言葉を無視して、セイディはいとおしむようにそで口で写真立てのホコリをはらった。

「ブライアンはいちばん年上だったの。わたしたちの面倒を見てくれたのよ。たまには、わたしたちの連れてくるボーイフレンドを追い払ったりしてうんざりすることもあったけど」思い出したことでこわばった笑みをうかべた。「おれに立ち向かえるだけの強さがなければ、おまえたちにはふさわしくない、なんて言ってね」写真立てを化粧台にもどした。「兄が亡くなったとき、ドーンはとてもショックを受けていたわ。わたしたち二人ともそうだった。あの子がノエルとつきあいはじめるまでは、うまく乗りこえたんだと思ってた。二ヶ月もしないうちにあの子たちはいっしょに住みはじめて、こんどは結婚するなんて言いだしたわ」セイディは顔をしかめた。「あの子がどんなふうにノエルを見るか、どんなふうにふざけ合うか見てきたけど、まるであの子とブライアンがいっしょにいるみたいで、あれじゃ近親結婚とかわりないわ。わたしはあの子が傷つくのを見たくないだけなのよ」

 ザックはしばらく黙っていたが、やがてこう言った。「もうもどらなきゃ。そろそろプレゼントを開けてるころじゃないかな」

「あらいやだ。わたしからのプレゼントを車に置いてきちゃったわ」

 セイディがジャケットを取ってくるあいだに、ザックはリビングのみんなのところに加わった。

「抜けだすつもりじゃないでしょうね?」セイディの母がドアの前にたちはだかった。

「ドーンにわたすプレゼントをとりに車のところへ行くだけよ」

ウェディングシャワーのことを打ち合わせなくちゃ」

「母さんたら、まだついさっき婚約したばかりじゃない。そんなに急いで招待状を買う必要はないでしょ」

「あなたは幸せそうじゃないのね」母親は眉をひそめてセイディの肩に手を置いた。「それにやせすぎよ」

 ちょうどそのとき、ドーンが最初のプレゼントを開けたらしく、リビングからどよめきが聞こえてきた。

「ドーンのプレゼントをもってこなきゃ」セイディはそういって母親のわきをすりぬけ、冷たい二月の雨の中へでていった。

 自分のホンダ・アコードまで歩いていって助手席側のドアから手を入れ、ちいさな赤いリボンのついた封筒をとりだした。雨が強くなってきたので、濡れないように急いでコートのポケットに入れた。ドーンのために選んだのはマニキュアとペディキュアをしてもらえるギフト券だ。いっしょに行って、ランチを食べて、姉妹ですごす一日にしようと提案するつもりだった。でもその時間が結婚式の相談でうめつくされるところが目に浮かんで、むかついてきた。

 小道を戻ろうとして、ザックが家から出てくるのが見えた。

「もう帰るの?」

 ザックはうなずいた。「ああ。明日の早いうちにカーソンの現場を終わらせたいんだ」

 携帯電話がなったので、セイディはポケットからとりだした。

「はい、〈掃除現場〉です」

「もしもし、シルヴィア・トートと申します。シアトル警察のペトロヴィッチ刑事からこの番号をうかがいました。掃除をしてくれると聞いたんです。あの、ふつうの掃除ではなくて、その、犯罪現場の掃除を」最後の言葉を口にするころには、相手の声は動揺してふるえていた。

 セイディは手を上げて、歩いていこうとするザックをひきとめた。

「はい、トートさん、当社は犯罪現場のクリーニングを専門にしております。当社のサービスが必要でいらっしゃいますか?」ばかげた質問だ――ペトロヴィッチがセイディの電話番号を教えるのにほかの理由があるはずもない。

「息子の家なんです」彼女はとても小さな声でこたえた。「クイーンアン地区のテイラー通りにあります。警察ではやってくれないそうなんです。警察では、証拠を集めてしまえばそれでおしまいだって言われました。あのままで放りだして、あとは家族まかせなんて信じられないわ。電話帳で掃除業者をさがしたんですけど、こういう種類の仕事はしないんですって」ちょっと間があった。「でもわたし、こういうことは……つまり、自分ではとてもできないわ」

「もちろんですよ」セイディはなだめるように言った。「まさにそのためにわたしたちがいるんです、トートさん。ちょっとお待ちくださいね」セイディは携帯電話を足に押しあてて声が向こうへ聞こえないようにしてからザックにささやいた。「クイーンアン地区の現場のことで電話してきた近親者よ。なにか聞いてる? トートっていう家だそうよ」

「トート、トートね」彼は顔をしかめてくりかえした。思いあたることがあったようだ。「そうだ。ムリシンのあったところだ」ムリシンというのは無理心中をあらわす隠語だ。「二、三週間前にタイムズで読んだよ」

 つい最近になって警察があけわたしたばかりなのだろう。

「ひどい話だったな」激しさを増してきた雨をよけるように目の上に手をかざしている。「夫のほうが二階で妻を刺してから、一階で自分に銃を向けたんだ。その家ならクリーニングする現場が二ヶ所になるだろう」

 セイディは電話を耳元によせた。「トートさん? 息子さんの家のクリーニングについては、よろこんでお手伝いさせていただきます。不都合でなければ、わたしからペトロヴィッチ刑事に連絡して家に入る許可をもらえるか、聞いてみます。それから家に入って保険の請求ができるように書類をさがします――それとも、もうお持ちですか?」

「あら、いいえ。まだ家の中にあるはずです。それってわたしが……」

 彼女の声はしだいに小さくなっていった。

「いいえ、トートさん、家に入っていただく必要はありません」セイディは優しく言った。「すべてわたしにおまかせください」

「ありがとう」ささやくように言った声に安堵がにじみでていた。

 セイディは相手の電話番号を聞き、翌朝には電話することを約束して通話をおえた。

「この現場のことを教えて」セイディはザックにきいた。「発見までの時間は?」

「遺体が見つかったのは三日後だったと書いてあったと思う。夫のほうはスポーツウェアの店をやっていて、従業員たちは彼が店にこないのを不審に思っていたそうだ。彼らが通報したんだろう」

 セイディはうなずいた。三日間か。腐敗はそれほどひどくはないだろうが、それも暖房を強にしていなければの話だ。どちらにしても、いつものように飛び散った血液や組織にはハエやウジがたかっているだろう。

「明日、まっさきにそっちへいくのか?」ザックがきいた。「最初の実地(ウォーク)検証(スルー)をするのに、おれもいっしょに行こうか?」

「ううん、だいじょうぶよ。カーソンの家がもうすぐ終わるでしょ。そっちへ行って終わらせてちょうだい。そのあと、わたしがトートさんに契約書にサインしてもらってから新しい現場で合流するまでに、それだけの時間はあると思う。彼女がそうしたいと言えばの話だけど……」

「そうするさ。そうでなければ自分でやるしかないんだから」ザックはそっけなかった。

「そうよね。それで、わたしたちにまかせてくれるとして」セイディは続けた。「昼食のあとからとりかかって、遅くまでやる、と」

「なんでそんなに急ぐんだ?」

「今日のうちに片づけられることを明日にのばしちゃだめ、ってお母さんに教わらなかったの?」

「ああ、でもおふくろが言ってたのはおれの部屋のことであって、腐乱死体の汚れにモップをかけることじゃなかったぜ」

 

 

 

〈ゴーストダスターズ〉シリーズ1作目。
 犯罪現場専門のハウスクリーニング業をしているセイディには死者の姿が見える(自殺者をのぞく)。彼らの話をきいてやり、あちらへ送りだしてやったりもする。
 この仕事をはじめたきっかけは、自宅のバスルームで兄が自殺した後始末をすることになり、遺族にこんなことをさせてはいけないと思ったからだ。

 

The Remains of the Dead: A Ghost Dusters Mystery

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