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コージーミステリ試し読み

未訳のコージー作品をちょっとだけご紹介

※当ブログに掲載の記事は、原著者に許可をいただいて瀬尾久美が翻訳しています。タイトルやシリーズ名なども暫定的なものです。

『遅すぎた告白』 ミランダ・ジェームズ

 今朝、うちのキッチンをハリケーンが直撃した。その名はジャスティン。

 わたしはため息をついて、わが下宿人の朝食の残骸をながめた。あいつはいったいどうしてしまったんだろう?

 口があいたままの牛乳パックとならんで、ボウル、スプーン、シリアルの箱がテーブルの上におきっぱなしだ。ジャスティンは箱を閉めなかったうえに、テーブルにもシリアルが何粒かころがっている。ボウルのまわりには牛乳が飛びちり、かじりかけのトーストがのった皿もそのままだ。

 カウンターに目をやれば、切りかけのパンのかたまりとふたのしまっていないバター皿にひと筋の光があたっている。トースターにはパンが二切れつっこまれているが、どうやらジャスティンはレバーを下げるのを忘れてしまったようだ。わたしはそこを通りすぎて、シンクのわきにおいてあった新聞をとった。ジャスティンはごていねいに水をふりかけてくれていた。先に読んでおいてよかった。ページがすっかりくっついてしまっている。

 キッチンの窓から裏庭をながめて自分を落ちつかせた。よろしい、ハリケーンとまではいえないかもしれない。ちょっとした熱帯性低気圧といったところか。わたしはべつに、散らかりかけたくらいで大騒ぎするような潔癖症なんかではない。

 男性の多くがそうであるように、わたしだって散らかすことはあるが、清潔できちんとかたづいているほうが気分がいい。こんなささいなことでいちいち腹をたててはいけない。

 たぶん、ジャスティンは一時限目の授業に間に合わせようと急いでいたんだろうが、アシーナカレッジのキャンパスまではほんの三ブロックだ。全力で走れば五分でつく。

 彼の行動がふだんと違っているということが、いちばん気がかりだ。十八才の彼が下宿するようになって二ヶ月になるが、いつもならきちんとかたづけていく。だがこの二、三日というもの、どんどん不注意になって家のあちこちにものを置きっぱなしにしているし、食事の後かたづけもしなくなっている。

 下宿生として、できれば大学院生以上の学生しか受けいれないというルールをゆるめたときに、こういうことは予測しておくべきだったのかもしれない。大学院生たちは自分の研究に集中しているからいざこざを起こしているヒマがないし、わたしはこの三年間で整えてきた静かできちんとした生活を大事にしたいのだ。

 ジャスティンのことは、古い友人への好意として受けいれることにした。彼の母親であるジュリア・ワードローとは高校から大学までずっといっしょだった。ジュリアがいうには、一人っ子のジャスティンは、猥雑な寮生活にはまだなじめないのだ。大学の一年目には、もっと静かで家庭的な雰囲気ですごしてもらいたいと。ジュリアに押しまくられたわたしは、彼女にだいじなヒナ鳥を託されることはありがたいことだと思えてくるほどだった。

 大きな前足がわたしの足を押した。見おろすと、二才になるメインクーンディーゼルが同情するように高い声で鳴いた。前足をひっこめてわたしを見あげた。

「わかってるよ、ディーゼル」わたしは首をふった。「ジャスティンは何か悩んでいるんだ。そうでなきゃこんなことはしないよね」

 ディーゼルはまた高い声をだしたので(メインクーンは他の猫と違ってニャーニャー鳴かないことが多い)、頭をなでてやった。まだ夏毛のままでダウンのようにやわらかい。首まわりやしっぽはこれから寒くなるともっとふさふさしてくる。耳のさきにある房毛をピンとたてて、辛抱強くこちらを見あげている。ディーゼルはところどころに模様のはいったグレーの縞猫で、二才というとまだ大人になりきってはいないが、もう十二、三キロはある。胸がひろく筋肉質なメインクーンは、猫の世界ではディフェンスタックルだ。

「下宿人くんと話してみなくちゃいけないね」ディーゼルはジャスティンが大好きで、しょっちゅう三階にある彼の部屋にあそびにいく。「朝やってきたアザレアがこのありさまを見たらどうするだろうね。ジャスティンもわたしも皮を剥がれてしまうかもな」ディーゼルはわたしの沈んだ目を重々しい表情で見返した。

 アザレア・ベリーは、愛するドティ伯母がなくなったときにこの家といっしょに受けついだ家政婦で、家の中をきれいにしておくことについて断固とした信念をもっている。ペットとして大型の猫を飼うことにも断固反対していたが、二年前にわたしが連れてかえってからはどうにか緊張緩和状態をたもっている。賢いディーゼルは、アザレアが基本的に猫嫌いであることに幼いときから気づいていたのだ。

 アザレアは大学生たちにはもっと寛容だったが、だからといってキッチンが少しでも散らかったままで放りだしていくことなどゆるさないだろう。ジャスティンが何を悩んでいるにせよ、またこんなことをくり返してアザレアに怒られる前に手伝ってやれることがあるかもしれない。

 家に対するアザレアの思い入れを責めるわけにはいかない。ドティ伯母は家の中心になると思うところに金を――そして装飾の才能を――注ぎこんだのだ。南東の角を占領しているキッチンには、二方向の大きな窓から朝日がさしこんでくる。淡い黄色に塗られた壁と白い陶タイルの床に反射した光が部屋いっぱいにあふれるのだ。繊細な青にかがやくキャビネットは、テーブルとイスの濃い色合いによくなじんでいる。

 わたしが子どもだったころにドティ伯母がよく焼いてくれたジンジャークッキーの匂いがしてきそうなほどだ。この部屋にはしあわせな思い出しかないが、ほんの一瞬だけ、大好きだった伯母と最愛の妻ジャッキーを失ったことで心が痛んだ。ふたりとも三年前に、数週間ちがいでたてつづけに他界した。ふたりがテーブルの前にすわって、笑ったりおしゃべりしているところが目に浮かぶ。

 楽しい思い出をきりあげてディーゼルに視線をもどしてみると、その顔はたしかにわたしを気遣っているようだった。「もうじゅうぶんだよ」といってやると、しっぽをピクピクさせてから向こうを向いて猫用トイレのあるほうに歩いていった。

 ジャスティンが散らかしたあとをかたづけ、シリアルの箱を戸棚にしまっているところでジャスティンがキッチンに飛びこんできた。

「ミスター・チャーリー」そういって入口に立ち止まった。「かたづけるつもりだったんですよ」片手によれよれのバックパックをつかみ、もういっぽうの手で目にかかった黒髪をなでつけた。髪を切るか、あるいはポニーテールにでもする必要がある。

 ディーゼルがまたやってきて、ジーンズをはいた友だちの足にからだをこすりつけた。ジャスティンはしゃがみこんで猫の頭をかいてやったが、前髪のあいだからわたしをみている。

「もう授業にむかったんだと思ったよ。アザレアが来る日だったら、きみが放りだしていったような状態のキッチンに言いたいことがあっただろうね」

 おだやかに言ったつもりだが、それでもジャスティンは顔を赤らめた。首をうなだれると髪がかぶさってきて顔をかくした。なにかつぶやきながら立ちあがった。ディーゼルがとなりにすわってジャスティンの顔を見あげている。

「なんて言ったんだい?」

 ジャスティンは肩をすくめて、今度はもう少しはっきりと「ごめんなさい」といったが、わたしの目をさけていた。「ほんとにかたづけるつもりだったんだけど、時間を忘れてしまって」ちらりとこちらを見て、すぐにまた足もとに目線をおとした。

「実害はないけどね。でもこの二、三日はちょっと注意力が散漫なんじゃないか、ジャスティン? きみらしくないぞ」

 彼は肩をすくめた。「えっと、遅刻しそうだから。じゃあね、ディーゼルくるりと背をむけて廊下に姿をけした。すぐに玄関がひらく音がした。ばたんとしまる音がしなかったのでほっとした。

 是が非でもジャスティンと話をしなくちゃいけない。彼は何かが気にかかっていて、礼儀を忘れかけている。ここで暮らすようになってからの二ヶ月、けっして社交的というわけではなかったが、つい最近までは礼儀正しかったのに。

 かつて二人のティーンエイジャーの父親だったわたしには、態度が変わるのはなんらかの問題があるしるしだということを知っている。ジャスティンの父親は保守的な福音派の牧師で、もし問題があるのなら大学をやめさせて家に連れもどすだろう。ジュリアだっていい顔はしないだろうし、トラブルに巻きこまれたのをわたしのせいにしかねない。

 下宿人のだれかの人生に深入りしようとは思っていない。もしもジャスティンの問題が深刻なものなら、両親のもとへ帰るべきだ。わたしには手にあまるようなことに立ち向かう心の準備ができていない。

 ディーゼルとならんで裏口のわきにある棚のところへいって、ハーネスとひもをフックからとった。外へでるしたくをしてやるあいだ、ディーゼルはのどをゴロゴロと鳴らしていた。この音がディーゼルという名前の由来になったのだ。わたしといっしょに仕事に行くのを楽しみにしている。

「コートとカバンをもってくるよ」わたしはネクタイにコーヒーや食べ物のシミがついていないかチェックし、ズボンに猫の毛がついていないかよく確かめた。色の濃いものはどうして磁石みたいにペットの毛をひきつけるんだろう? ブラシを使って毛をはらうと、ディーゼルもわたしも出かける準備完了だ。

 公立図書館の駐車場で寒さにふるえていた子猫を見つけてからの二年間で、わたしの故郷であるミシシッピ州アシーナの人びとは、わたしが猫にひもをつけて歩かせているのを見慣れてきた。ディーゼルが大きくなるにつれて、山猫の血が入っているのじゃないかと思う人もいたが、それはわたしも含めてこの町のだれも、それまでメインクーンを見たことがなかったからだ。あと一年もしてすっかり大人になったらみんなはどう思うのか、想像もつかない。

 たまに知らない人に道ばたで呼びとめられ、これは見た目がおかしな犬かと聞かれることがあるが、そんなときディーゼルはあきらかに気を悪くしたような顔をした。人なつっこい生き物ではあるが、バカにされたことを軽く受けながしたりしない。そんなところがまたかわいい。

 さわやかな秋の空気に、かすかに木のこげる匂いがした。まだ暖炉に火を入れるには早いだろうが、近所のだれかはあきらかにそうは思わなかったらしい。その匂いから、寒い冬の日に両親の家で火のそばですごしたころを思いだした。

 この通りにならぶ家々は百年以上も前の建物で、そのほとんどには何世代もおなじ家族が住みつづけている。優雅な建築様式やむかしながらの風景、本物の近所づきあいの感覚といったものが、妻を亡くしたあともわたしに安心感を与えてくれた。

 ジャッキーの思い出をしまいこんで歩きだすと、ディーゼルは二、三歩先を歩きだした。アシーナカレッジのキャンパスは――今朝わたしたちがむかっているところだ――東に三ブロックいったところにある。ふつうなら五分でいける距離なのに十五分から二十分もかかるのは、ディーゼルにあいさつするおおぜいのファンのために足を止めるからだ。彼は甘えたような声をだしたりのどを鳴らしたりしてそれを平然と受けとめ、わたしを含めみんなを笑顔にする。「おはよう、チャーリー」といってくれる人も一人や二人はいるから、わたしがまるで無視されているわけでもない。

 地元の個人書店〈アシーニアム〉のオーナー、ジョルダン・トンプソンが朝のジョギングをしていた。通りすがりに手をふってくれた。彼女の運動意欲には頭が下がる思いがするし、見習いたいものだと思う。

 ディーゼルとわたしが大学図書館についたのは、図書館の二つの建物で運用管理をしているリック・タケットがちょうど玄関のカギを開けようとしているところだった。八時きっかり、一秒たりとも早くはしない。わたしたちが立っているのは、南北戦争前からの建物で図書館の管理事務所や保管所、希少本コレクションがあるグリーク・リバイバル棟のポーチだった。ホークスワース図書館として知られる本館はとなりの建物だ。

 リックは、わたしが「おはよう」といったのにうなずき、一歩よけてわたしとディーゼルを通してくれた。十才ほど年上のリックは、愛想はいいのだが会話にひっぱりこむのが難しい人物だ。おもにとなりの本館のほうにいるから、わたしとはたまにしか会わない。

 ディーゼルが先に二階にむかう中央階段をのぼっていった。踊り場で左にまがり、ガラスに金箔の飾り文字で希少本室と書かれたドアのまえでたちどまった。

 わたしはカギを開け、ドアを押して中に入るとディーゼルのひもを放してから室内の電気をつけてまわった。それが終わるころには、ディーゼルはお気に入りの場所――わたしの机の後ろ、奥行きのある窓枠においたベッド――におさまっていた。ひもをはずしてやり、巻きとってベッドのわきに押し込んだ。

 ディーゼルがのどを鳴らすのを聞きながら仕事の準備をした。ジャケットとバッグをしまい、机の前にすわってコンピュータを立ちあげ、頭の中で今日一日の予定を整理した。

 わたしは週に二日、ここでカタログづくりと公文書保管の仕事をしている。といっても、それ自体をとても楽しんでやっているから労働だと思ったことはない。ヒューストンで図書館に勤めていたときは、ほとんど管理職としてすごした。こうしてまたカタログづくりができるなんて、長いこと予算だの人事だのにかかわっていたのにくらべれば天国みたいなものだ。ここでディーゼルといっしょに希少本に囲まれていることに満足している。

 メールを読みはじめてすぐに、ドアをノックする音がした。

「おはよう、チャーリー」メルバ・ギリーが入ってきた。高校時代とかわらずスタイルがいい。あの頃の見事なプロポーションをいまも保っている。わたしはメルバのことがとても好きだったしメルバもそうだが、いまのところおたがいに友情を復活させただけで満足していた。わたしはまだデートしたい気分ではなかったし、もうじき五十才になろうというわたしがいつになったら、というかそもそもそんな気分になるのかどうかもわからない。

「おはよう、メルバ。調子はどうだい?」

 メルバはわたしの机のわきにあるイスにどさりとすわって、濃い紫のまっさらなパンツスーツからありもしないほこりをつまみとった。「わくわくしてるわ。あなたは?」そういってわたしの後ろの窓枠に目をやった。「おはよう、ディーゼルくん」

 ディーゼルは返事はしたけれどベッドを離れることはなかった。

「なにに?」わたしは顔をしかめた。なにか忘れているだろうか?

「今夜の盛大な授賞式よ。ほかになにがあるっていうの?」メルバはほほえんだ。「アシーナに人気者を迎えるなんて、そうそうあることじゃないわ」

「ああ、それか。一大事だよね」

 メルバはやれやれと首をふった。「チャーリー・ハリス、まさかこれだけの年月がたってあのゴドフリー・プリーストがどんなふうになったか、興味がないなんていうんじゃないわよね? 高校では仲が良くなかったのは知ってるけど、有名作家の実物には会いたいでしょ」そういって笑った。

 わたしも首をふった。「あいつは三十二年前にもいけ好かない野郎だったし、いまじゃなおさら嫌なやつになってるにちがいないさ、それも金を持ってる嫌なやつ」

「奥さんが四人いたんですって。うわさで聞いたところではね。でも扶養料くらい払えるんじゃないかしら、本で稼いだ分で」

「わたしはたいして貢献してないよ。少なくとも、最初の数冊が出たあとはね」

「つまり、彼の本を読んだことはたしかなのね」メルバは勝ち誇ったようにいった。

「それは認めるよ。興味をもったからね、アシーナのだれもがそうだったように。それに、最初の何冊かは気に入ったな。おもしろかったよ。でもその後は例のバイオレンススリラーを書くようになって、プロットがどんどん信じがたいものになっていった」わたしは嫌悪感に口もとをゆがめた。「女性に対する暴力は論外だね。きみだってもう読んでいないだろう?」

 メルバは首をふった。「ええ。二冊くらい前で読むのをやめたわ。理由はあなたと同じよ」

「それじゃ、どうしてそんなにわくわくするんだい?」

「彼はベストセラー作家で有名人なのよ。いったいどれだけの有名人がアシーナにくると思う? ちょっとくらい興奮したっていいでしょ」

 わたしはくるりと目を回した。「リズ・グラハムのトレーラーの中で泥酔して裸でいる夫をみつけたロバータ・ヒルが彼にピンクのスプレーを吹きつけたのを忘れたわけじゃないよね? あれは大騒ぎだったときいてるよ。とくに、目をさました彼がオノをもって大通りじゅう彼女を追いかけまわしたときに」

 メルバは笑いながら茶化した。「ほんとに、あなたもそこにいたらよかったのに。あんなにおもしろいものを見たのは初めてだったわ。全身ピンクのデルバートがアレを振りまわしてるんだもの。わたしがちょうど銀行から出てきたところで彼と奥さんが目のまえを走り抜けていったのよ。彼は運がよかったわ、ロバータがもっとひどいことをしなくて。ほら、そのオノでちょん切っちゃうとか」

 わたしも笑ったが、ちょん切られたモノのことは考えないようにした。背後から、いっしょに笑っているかのようにディーゼルがのどを鳴らすのが聞こえた。

 メルバの携帯電話が鳴って、彼女は顔をしかめながら腰につけたホルダーからそれをとりだした。まるで長年の経験を積んだガンマンのように手の中でくるりと回して持ちかえると、画面に目をやった。「陛下がお呼びのようだわ」そういうと電話に出て、われらが上司にすぐいきますとこたえた。通話を終えるとまたしてもくるりとホルダーにもどした。

「もういかなくちゃ」そういって立ちあがった。「まったくあいつったら、ここですよってわたしが教えてあげなきゃ自分のおしりも見つけられないんだから」といってクスクス笑った。

「だからこそ、きみはかけがえのない館長補佐なのさ。なにがどこにあるか、すべて知っているからね」

 メルバははにかんだ笑顔を見せた。「じゃ、またね」

 わたしもクスクス笑ってしまった。図書館長のピーター・ヴァンダケラーは落ち葉をあつめる熊手にそっくりだ。一九〇センチを超える細長い体格に三〇センチあまりの足が不釣り合いな感じがする。メルバは彼がなにか食べているところを見たことがないと断言しているし、彼女のいうことはたいてい信用している。わたしは彼がペンや鉛筆以外のものを口に入れるところを見たことがない。会議中はいつでもペンか鉛筆を噛んでいるのだ。

 メルバがいってしまった後の静けさは気持ちよかった。彼女をあらわすのに静寂という言葉だけはあてはまらない。

 メール処理のつづきに取りかかったが、わたしたち図書館員が不満ながらも部隊と呼んでいるみんなにあてられた週一回のメールにおののきつつ目を通した。去年のハロウィンのとき、何人かがおそろいの衣装を着てスタッフミーティングに出席した。ピーターにはその冗談が伝わらなかった。冗談がわかったことは一度もない。ときどき彼がかわいそうになった。

 今週のお説教の主題はリサイクルだった。ピーターは全員に、職場にペットボトル入りの水をもってくることをやめ、そのかわりスタッフの休憩室にあるフィルターつきの水道水を利用するように強く求めていた。わたしは自分のカバンをちらりと見た。ふだんなら少なくとも水のボトルが二本は入れてある。それがカラになったら水を詰め替えて使うことにした。たぶん、上司どのはそれで満足してくれるだろう。

 最後に読んだメールで、われらがセレブを讃えるガラ・レセプションが今夜、学長の家でひらかれることを思いだした。わたしは行かないと言ってきたけれど、好奇心に負けてしまうことはわかっていた。ゴドフリー・プリーストのことは大嫌いだったが、久しぶりに会ってみたかった。

 高校時代、わたしはずっとゴドフリーを恐れていた。わたしより背が高く、かっこよくて、いつでもガールフレンドたちを見せびらかしていた。高校から大学まで――二人ともアシーナカレッジの同窓生だ――、彼のことをいまいましく思っていたが、それももう昔のことだ。とっくに気持ちの整理はついているんじゃないのか?

 そうじゃないとしても、今が充実しているならばそれが最高の仕返しだといえるし、自分がうまくやっていることをあのクソッタレに見せつけてやりたかった。

 自分のバカさ加減にあきれながら、コンピュータから目を離して机の上の書類をしらべた。あの手紙をどこへやったかな? 紙の山をあちこち持ちあげてみて、めあてのものを見つけだした。

 目録づくりのほかに、大学の歴史的側面や図書館に保管されている文書や希少本などに関連したある種の参照質問も処理している。きのうはヴィクスブルグに住む老婦人から、音信の途絶えた親戚を探しだしたいという問い合わせがあった。その親戚は、創立間もない一八四〇年代にアシーナカレッジに在籍していたはずだという。

 手紙にざっと目を通して探していた名前を見つけた。手紙をわきに置いて、ドアの左がわにある関連資料の入っている棚のところまでいった。探すのは、その答えが見つかるはずの古い出勤簿だ。いずれは記録をコンピュータ入力するための助成金をもらえることを期待しているが、それまではこれまでどおりのやりかたでがまんするしかない。

 探していた一冊を棚からぬきだし、目当ての年度のところまでそっとページをめくった。図書館内の別の場所からさまざまな音が聞こえてくる。よく音がおかしなぐあいに伝わってくるのは、大きな階段と天井の高いロビーのおかげで声がはねかえるせいだ。

 几帳面にならんだ細かい手書き文字で書かれた一八四〇年の記録をなぞってブッシュロッド・ケニントンという人物を探していると、きれぎれの会話が聞こえてきた。わたしは仕事に集中していて、会話にはあまり注意していなかった。しかし、〈殺人〉と〈プリースト〉という単語が耳に飛びこんでくると、そちらに意識をむけた。

 

 

〈猫は図書館にいる〉シリーズ第1作。
 大学図書館に勤務する中年男チャーリーと飼い猫(メインクーンディーゼルが活躍するシリーズ。といってもディーゼルに特殊な能力はなさそうで、ひたすら猫としてみんなの人気者であり、癒やしの存在として描かれる。
 チャーリーは亡くなった叔母から家政婦つきで家を受けつぎ、空き部屋に大学生や院生を下宿させている。図書館の同僚たちにはチャーリーの同窓生も多く、いかにも田舎町の雰囲気。事件が起きて捜査にやってくる警官は家政婦アザレアの娘だったりする。

 

Murder Past Due (Cat in the Stacks Mystery)

Murder Past Due (Cat in the Stacks Mystery)

 

 

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『死の名残り』  ウェンディ・ロバーツ

 

 彼女は洗剤液にブラシを浸し、大きく弧を描くようにベッドルームの壁をこすった。目の前の仕事に集中していても、背後の人物を無視しないようにつとめた。

「ほんっと、不公平だよな」男が哀れっぽく嘆いた。

「ジェイコブ、そのことなら昨日からもう何度も話したでしょう」セイディは洗剤がしたたるブラシをもう一度もちあげながら冷静にこたえた。「いくら話しても起きてしまったことは変えられないわ。あなたがしたことよ。いってみれば、自分で用意したベッドなんだから自分が寝るしかないのよ」

「つまんねえ例えだな」

「悪かったわね」それでもセイディは笑ってしまい、それから一歩下がってしあがりをチェックした。すこし離れて見ないと全部きれいになったかどうか、わからないこともあるのだ。

「なにかやり方があるはずなんだ」男は不平をもらした。

「ジェイコブ、はっきり言わせてもらうわ。あなたは死んだの。ベッドに座って、この壁全体に脳みそをぶちまけたのよ」彼女は決然とした顔で男に歩みよった。「申し訳ないけど、そうと決まってしまったことからは引き返せないものなの」

 男は痛そうな顔をした。痛いのはなにも頭部の左側全体がなくなっているせいばかりではない。彼がためらっているのを非難するつもりはない。この人生から離れていくことを恐れるのは自然なことだ。でも、誰かが彼の背中を押してやらなくてはならない。

「だってあれは事故だったんだぜ。弾が入ってるなんて知らなかったんだ」

 その通りであることは知っていた。ジェイコブの残されたほうの目がじっと見つめているのが感じとれた。

「信じてくれよ。ほんとなんだから」

「じつはね、もしあなたが自殺したんだったらこんなふうに話したりしてなかったわ。どうしてだかわからないけど、自分の意志で命を絶ってしまった人はわたしには見えないのよ」

「あんたの家族も鼻が高いだろうな」男は皮肉っぽく言った。「それとも家族全員イカレてんのかい?」

「同じように呪われている人はいないわね」セイディは心からそう言った。「両親はわたしがこんなふうだって知らないし、妹はまだ馴染めていないわ。親友なら〈オプラ・ショー〉に出なさいって言うでしょうね。でもわたしのことはもういいの」彼に刺すような視線をむけた。「そこでウロウロしてちゃだめよ。もう行かなくちゃ」

 ジェイコブは部屋のまん中に座りこんだ。まさにその場所に彼のベッドがあったのだが、血が染みこんだマットレスはすでに倉庫に運び込まれ、安全に保管できるバイオハザードルームで医療廃棄物処理業者が持って行ってくれるのを待っている。彼はそこに、ただベッドが見えなくなっているだけのように浮かんでいた。

「で、俺はどうすりゃいいんだ?」男は悲しげにきいた。

 セイディはため息をついた。「リラックスして身をまかせればいいの。逆らわずになるがままにして」彼の肩に置こうとして伸ばした手が通り抜けてしまったのは、もちろん彼の実体がそこにはないからだ。霊魂と物理的に接触しようとするときいつもそうなるように、嫌悪感で全身に震えが走った。

「もううんざりだよ。わかった、やってみよう」勇気を出して目を閉じた彼は、長くゆっくりと最期の息を吐きだした。

 ジェイコブは、あるいはジェイコブの亡霊は、まずチラチラと揺らめき、しだいに薄れていってついには消え去った。

「やっと行ったわね」

 セイディはいら立ったように息を吐いた。死者の相手をするのは、もどかしいこともある。彼らの旅立ちを手伝うのはうれしいことではあるが、もっと話を聞いておしゃべりを減らしてくれればいいのに、とも思う。だが、死者たちはただ話を聞いてもらいたいだけだということもわかってはいるし、聞いてあげられるのは彼女だけなのだ。

 ひからびたオートミールのように張りついた脳みそのかけらをこすり落とそうと、セイディは再び壁に向かった。

「またやってたね」ザックの声は使い捨ての紙製マスクのせいでくぐもっていた。彼は話がしやすいようにセイディの方に歩いてきた。「消耗品をとなりの部屋に運ぼうとしたら、話してるのが聞こえたんだ」

「ごめん」セイディは肩越しに言った。でも悪いとは思っていない。

「死者に話しかけるときは、せめて俺が近くにいないときにしてくれよ」ザックは両手を腰に当てて立っていた。彼が身につけている使い捨ての青いタイベック・スーツやマスク、オーバーシューズはセイディのと同じものだ。

「わたしは待てるけど、相手が待てないこともあるのよ」きっとザックはゴーグルの奥であきれた目をしているにちがいない。

「もうひとつの容器を倉庫に運ぶよ」

「そうね」セイディはもう仕事に戻っていた。「わたしはもう少しここでやっていくから、明日の朝には仕上げられるわ」

「あまり遅くまでやってるとドーンのパーティに間に合わないよ」

「ああ、そうだった」セイディはため息をついた。「あんまり時間はなさそうね」

「妹の三十才の誕生日パーティに腐敗臭を漂わせていくつもりなら別だけどね」ザックはくすくす笑ってウィンクして見せた。

 ザックの言うとおりだ。腐乱死体の臭いを洗い流すには五分ばかりのシャワーではたりない。セイディはしぶしぶ現場をかたづけて家路を急いだ。たっぷりと時間をかけてシャワーを浴び、着替えながら時計に目をやって焦りを感じると大急ぎでドアから飛び出した。

 バラード地区にあるドーンの家まではほんの三キロほどだが、霧雨のせいで道路が滑りやすくなっていた。セイディは気をつけながらミッドヴェイル通りへの角を曲がり、ワイパーの音が気にならないようにラジオの音量を上げた。

数分後、ドーンの家がある通りで歩道の脇に車を止め、ドアを勢いよく開けて、歩道に覆いかぶさるように枝を伸ばしたスギの木をよけながら家に向かって走った。玄関まで来るころにはもう、中から〝ハッピーバースデー〟を大声で合唱するのが聞こえていたので、ノックを省略して中に入った。歌が終わるまでに四十人ばかりあつまった人の後ろにまぎれこむことができた。ドーンは大げさに目を閉じて願い事をすると、拍手で盛りあがる中、キャンドルを吹き消した。

「あぶなかったな」ザックがセイディの耳元で言った。

「遅れてきたのに気づいたかしら?」

「大丈夫だろう。もう飲んでるようだし」

 セイディはドーンに目をやった。お酒で顔を赤らめ、注目を浴びてすっかり有頂天になっている。長い茶色の髪を後ろでまとめ上げ、えりぐりの深い赤いセーターを着ている。セイディはジャケットを脱いでイスの背にかけるとダイニングのテーブルに向かって人混みをかき分けていった。

「セイディ!」ドーンのボーイフレンドのノエルが大声で呼んだかと思うと腕をとってぎこちなく抱きよせた。「間に合ったんだね!」

「大事な妹の誕生日に遅れたりしないわよ」無理に笑顔をつくってこたえた。

「来ないよりはましね」ドーンは皮肉まじりに言うと、ケーキにたっぷりとかかったチョコレートを指先にとってなめた。

「遅くなってごめんね」セイディはかがんで妹の赤くなった頬にキスした。「とうとう三十才になったのね?」ドーンをじろじろと見るふりをしてみせる。「ということは公式にオバサンになったってことで、それはつまり私のほうはとんでもなくオバサンだってことね」

「三十二ならとんでもなく、ってことはないわ。老人ホームに放りこむまでにはまだまだ時間があるわよ」ドーンがからかった。「髪を切ったのね。似合ってるじゃない」

「そう?」セイディはとっさにボブヘアに手をやった。スタイリストがしきりに勧めるので、ブロンドのハイライトも入れた。いまだに鏡を見るたびにどきっとする。

「長いのが好きなんだと思ってたわ。どうして切ったの?」

「ちょっとそんな気になっただけよ」セイディは肩をすくめた。ドーンがほんとうのことを知りたがるわけがない―――髪が長いと腐敗臭がとれにくい、だなんて。

「ケーキを配るのを手伝って。早く帰ったりしないでね。あとでサプライズがあるんだから」

 ケーキをのせた紙皿を持てるだけ持って、顔が痛くなるほどの笑顔で配った。作り笑顔をやめたセイディは、すみの方でノエルに熱烈なキスをしているドーンに顔をしかめた。まったく、あんなに幸せそうじゃなければいいのに。幸せすぎなければ。

セイディは二つ残ったケーキを持って、ザックを探しにいった。彼はリビングで飲み物を片手に、かわいらしい赤毛の女性と話していた。.防護服を着ていないザックはかっこいい。細身のリーバイスをはいて、オリーブ色の肌を引き立てる緑の長袖Tシャツががっちりした肩にはりついていた。最近伸ばしだした濃い色の髪が角張ったあごの頑固そうな印象を和らげている。ザックは苦もなく女性を惹きつける。難しいのはその関係を続けることのほうだが、彼は恋愛体質ではないような気がした。

 ザックが若い女性に近づくチャンスを邪魔しないようにひきかえしたセイディはソファの腕に腰を下ろした。二皿のケーキのバランスをとりながら、近くにいた二人の女性の会話に興味があるふりをする。

「お仕事は何をしてるの?」赤毛女が思わせぶりに髪をかきあげながらザックに聞いた。

 ちょうどいいわ。セイディは少しだけからだを傾けた。そうせずにいられなかったのだ。

「特殊な清掃会社にいるんですよ」ザックは一八〇センチ近い背筋をぴんと伸ばしてこたえた。

 悪くないわ、とセイディは思った。自分でもそういう言い方をしたことがある。このまま赤毛女がスルーしてくれればなにも問題はない。

「きみはどうなの? 当ててみようか……モデルかな」

 セイディはあきれた。

「歯科衛生士よ」にっこりした彼女はお世辞に気をよくして、お上品に飲み物をすすった。「特殊な清掃会社ってなにをするの?」

「たいしたことはしてないさ」ザックはさらりとこたえた。「誕生日の彼女とはどこで知り合ったの?」

「お隣さんなの。ほんの数件先に住んでるのよ」赤毛女はすっと手を伸ばして、ザックのシャツから見えもしない糸くずをつまんだ。「それじゃ、特殊な清掃会社はどんなものをきれいにするのかしら?」

 そろそろ助けが必要なころあいだ。

「ケーキはいかが?」セイディは立ち上がって、ザックと彼の未来の恋人にケーキを差し出した。

「ちょうど欲しいと思ってたところだ」ザックは黒い瞳でセイディの目を真剣に見つめた。

 セイディは笑顔を返した。ザックが言っているのがケーキのことではないのは間違いない。一時的にしても助けが入ってほっとしているようだ。二皿とも受けとって、一つを赤毛女に勧めた。彼女はつねにダイエットしているタイプらしく、案の定ケーキを断ったので一皿はセイディにもどってきた。

「なにを取り逃がしたかわかってないのね」セイディはケーキにフォークをつきさして一切れ口に運びながらモデルのような歯科衛生士に言った。チョコレートの層の間にカスタードがはさまれている。ねっとりした生地と色をみて、死んでから放っておかれた死体の体液をスポンジで吸い取ったことを思い出したが、動じなかった。セイディはザックのほうを見た。彼もカスタードを見つめていて、同じことを考えているのかもしれなかった。

「あなたが歯科衛生士をしてるって聞こえたんだけど」口をいっぱいにケーキをほおばったセイディがきいた。「それってとってもおもしろそうだわ。そうじゃない、ザック? きっといろんな職業の人がくるんでしょうね」

「そうでもないわ」赤毛女はうすら笑いを浮かべた。「口なんてどれを見ても同じよ」

みんなでお行儀よく笑った。

「あなたの特殊な清掃会社って、有害ゴミとか扱っているんじゃない?」

「まあね」ザックがこたえた。「じっさい、血液汚れの原状回復とかもあるけど」

 (やるだけはやってみたわ)と胸の内でつぶやいたセイディは、部屋を横切ってドーンの友人の一人が気前よく飲み物をついでいる即席のバーにもどっていった。かなり濃いめのジントニックにくし形に切った大きなライムを一切れ、氷のあいだに浮かべてもらった。飲み物をすすってから、ザックが仕事に関する彼女の質問をかわせただろうかと混み合ったリビングを振りかえった。

 セイディは赤毛女が本当のことを知ったまさにその瞬間を見てしまった。はじめは目を見はって口をあんぐりと開けた驚きの表情。つづいて、混じりけのない純粋な嫌悪感。

 セイディは困ったような苦笑いをグラスで隠した。世間からつまはじきにされるのはこの仕事の副産物みたいなものだ。そのとき両親が玄関から入ってきたので、困っているザックを眺めるという楽しみは中断された。二人がくるとは思っていなかった。両親とは今日の早い時間に昼食をともにしたと、ドーンから聞いていたからだ。

 ノエルが両親に歩みよって、ドーンが待っている部屋の片すみにひっぱっていった。

「さて、みなさん。ちょっといいですか?」ノエルは暖炉のそばにあるイスの上に立って両手をふりまわしていて、なんだかばかげて見えた。

 ドーンがくすくす笑いながら彼をひっぱり降ろし、並んで立った。部屋の話し声が静まったところで、ノエルがわざとらしく咳払いした。

「ぼくらの家族と、ごく親しい友人たちに会えてうれしいです。ドーンとぼくは、大切なことをお知らせするのにこれ以上にふさわしい場所はないだろうと思いました」効果をねらったようにそこで間をおいた。「さっきドーンに、ぼくと結婚してほしいといったら、イエスという返事をくれました」

 祝福の声があがり、みんなが二人のまわりに集まってお祝いにかわるがわる抱きしめた。母はうれし涙をうかべ、父は誇らしげに胸を膨らませて一歩前に出るとノエルの手をとって熱い握手をかわした。

「あんまりうれしそうじゃないな」ザックがセイディの耳元でささやいた。

「わかるわけないでしょ」グラスのなかにつぶやいたセイディはいそいで残りを飲みほした。

「わかるさ。簡単だよ。あいつが嫌いなんだろ。顔にそう書いてあるぞ。ところで、それ以上きつく握りしめたら、グラスが割れて妹さんの家の床が血だらけになるぞ」

 セイディはグラスをサイドテーブルに置いてから、強く頭をふった。「ノエルはいい人よ。嫌ってなんかいないわ」

「それならどうして……」

 セイディは顔をそむけると、人ごみをかきわけて静かな廊下にでた。ザックがついてきてもまったく驚きは感じなかった。

「すまない。おれの出る幕じゃなかったな」

「ええ。そうよね」セイディは認めたものの、彼の傷ついたような顔を見てその場を明るくしようと笑みをうかべた。「ほら、首をつっこみたがるのは元警官のクセでしょ」

「首をつっこんでるんじゃない。心配なだけだ。きみのことが気になるんだよ、セイディ」

 セイディは居心地悪そうに足を踏みかえた。

「もちろんよ。友だちだもの、そうでしょ?」彼の真剣な目つきと向きあうかわりに、肩越しに向こうをみた。

「きみは、だれもおれを相手にしてくれない時に雇ってくれた。だからまあ、おれたちは友だちだ。ただ、ほんとうの友だちなら、どういうことなのか話してくれるんじゃないかな」

「あのね、ほかに内臓を拭いたりするのをいっしょにやりたい人がいるわけじゃないけど、でも話したくないこともあるのよ。だれとも」

 ザックはうなずいて立ち去ろうとした。セイディは仲直りの必要があると感じて、彼のそでをひっぱった。

「待ってよ」ザックを主寝室につれていってドアを閉めた。

「これを見て」そう言ってドーンの化粧台からシロメの写真立てをとりあげ、ザックの目の前につきだした。「これが誰だか知ってるわよね?」

「もちろん」ザックは写真をセイディの手からとって、不安そうに顔をしかめた。「きみの兄さんのブライアンだろ」

「それで?」

「それで、なんだい?」

「よく見てよ」セイディは写真を指さして強調した。

 写真はブライアンが二十代後半のときのものだ。彼の自慢の古いムスタングのボンネットに寄りかかっている。その笑顔からは、一年後に自宅のバスルームで自分の頭を吹き飛ばすことを予感させるようなものはこれっぽっちも感じられない。

「見てわからない?」セイディは辛抱づよく言いつのった。「ノエルは彼にそっくりなのよ。鼻も、髪も、目も……双子といってもいいくらいだわ!」

「そうかな?」ザックは写真を引きよせて、ちらりと見ただけでかえしてきた。暗い色のふさふさした髪をかきあげる。「そうは見えないけどな」

「本気なの? ねえ、ちゃんと目を開けて! ノエルもブライアンも背が高くてやせてるし、ブロンドの髪を少し長めにカットしてるわ」

「セイディ、いまきみが言ったことはシアトルにいる何千人もの男にあてはまるし、このパーティに来てるだけでも十人はいるぞ」

 ザックの言葉を無視して、セイディはいとおしむようにそで口で写真立てのホコリをはらった。

「ブライアンはいちばん年上だったの。わたしたちの面倒を見てくれたのよ。たまには、わたしたちの連れてくるボーイフレンドを追い払ったりしてうんざりすることもあったけど」思い出したことでこわばった笑みをうかべた。「おれに立ち向かえるだけの強さがなければ、おまえたちにはふさわしくない、なんて言ってね」写真立てを化粧台にもどした。「兄が亡くなったとき、ドーンはとてもショックを受けていたわ。わたしたち二人ともそうだった。あの子がノエルとつきあいはじめるまでは、うまく乗りこえたんだと思ってた。二ヶ月もしないうちにあの子たちはいっしょに住みはじめて、こんどは結婚するなんて言いだしたわ」セイディは顔をしかめた。「あの子がどんなふうにノエルを見るか、どんなふうにふざけ合うか見てきたけど、まるであの子とブライアンがいっしょにいるみたいで、あれじゃ近親結婚とかわりないわ。わたしはあの子が傷つくのを見たくないだけなのよ」

 ザックはしばらく黙っていたが、やがてこう言った。「もうもどらなきゃ。そろそろプレゼントを開けてるころじゃないかな」

「あらいやだ。わたしからのプレゼントを車に置いてきちゃったわ」

 セイディがジャケットを取ってくるあいだに、ザックはリビングのみんなのところに加わった。

「抜けだすつもりじゃないでしょうね?」セイディの母がドアの前にたちはだかった。

「ドーンにわたすプレゼントをとりに車のところへ行くだけよ」

ウェディングシャワーのことを打ち合わせなくちゃ」

「母さんたら、まだついさっき婚約したばかりじゃない。そんなに急いで招待状を買う必要はないでしょ」

「あなたは幸せそうじゃないのね」母親は眉をひそめてセイディの肩に手を置いた。「それにやせすぎよ」

 ちょうどそのとき、ドーンが最初のプレゼントを開けたらしく、リビングからどよめきが聞こえてきた。

「ドーンのプレゼントをもってこなきゃ」セイディはそういって母親のわきをすりぬけ、冷たい二月の雨の中へでていった。

 自分のホンダ・アコードまで歩いていって助手席側のドアから手を入れ、ちいさな赤いリボンのついた封筒をとりだした。雨が強くなってきたので、濡れないように急いでコートのポケットに入れた。ドーンのために選んだのはマニキュアとペディキュアをしてもらえるギフト券だ。いっしょに行って、ランチを食べて、姉妹ですごす一日にしようと提案するつもりだった。でもその時間が結婚式の相談でうめつくされるところが目に浮かんで、むかついてきた。

 小道を戻ろうとして、ザックが家から出てくるのが見えた。

「もう帰るの?」

 ザックはうなずいた。「ああ。明日の早いうちにカーソンの現場を終わらせたいんだ」

 携帯電話がなったので、セイディはポケットからとりだした。

「はい、〈掃除現場〉です」

「もしもし、シルヴィア・トートと申します。シアトル警察のペトロヴィッチ刑事からこの番号をうかがいました。掃除をしてくれると聞いたんです。あの、ふつうの掃除ではなくて、その、犯罪現場の掃除を」最後の言葉を口にするころには、相手の声は動揺してふるえていた。

 セイディは手を上げて、歩いていこうとするザックをひきとめた。

「はい、トートさん、当社は犯罪現場のクリーニングを専門にしております。当社のサービスが必要でいらっしゃいますか?」ばかげた質問だ――ペトロヴィッチがセイディの電話番号を教えるのにほかの理由があるはずもない。

「息子の家なんです」彼女はとても小さな声でこたえた。「クイーンアン地区のテイラー通りにあります。警察ではやってくれないそうなんです。警察では、証拠を集めてしまえばそれでおしまいだって言われました。あのままで放りだして、あとは家族まかせなんて信じられないわ。電話帳で掃除業者をさがしたんですけど、こういう種類の仕事はしないんですって」ちょっと間があった。「でもわたし、こういうことは……つまり、自分ではとてもできないわ」

「もちろんですよ」セイディはなだめるように言った。「まさにそのためにわたしたちがいるんです、トートさん。ちょっとお待ちくださいね」セイディは携帯電話を足に押しあてて声が向こうへ聞こえないようにしてからザックにささやいた。「クイーンアン地区の現場のことで電話してきた近親者よ。なにか聞いてる? トートっていう家だそうよ」

「トート、トートね」彼は顔をしかめてくりかえした。思いあたることがあったようだ。「そうだ。ムリシンのあったところだ」ムリシンというのは無理心中をあらわす隠語だ。「二、三週間前にタイムズで読んだよ」

 つい最近になって警察があけわたしたばかりなのだろう。

「ひどい話だったな」激しさを増してきた雨をよけるように目の上に手をかざしている。「夫のほうが二階で妻を刺してから、一階で自分に銃を向けたんだ。その家ならクリーニングする現場が二ヶ所になるだろう」

 セイディは電話を耳元によせた。「トートさん? 息子さんの家のクリーニングについては、よろこんでお手伝いさせていただきます。不都合でなければ、わたしからペトロヴィッチ刑事に連絡して家に入る許可をもらえるか、聞いてみます。それから家に入って保険の請求ができるように書類をさがします――それとも、もうお持ちですか?」

「あら、いいえ。まだ家の中にあるはずです。それってわたしが……」

 彼女の声はしだいに小さくなっていった。

「いいえ、トートさん、家に入っていただく必要はありません」セイディは優しく言った。「すべてわたしにおまかせください」

「ありがとう」ささやくように言った声に安堵がにじみでていた。

 セイディは相手の電話番号を聞き、翌朝には電話することを約束して通話をおえた。

「この現場のことを教えて」セイディはザックにきいた。「発見までの時間は?」

「遺体が見つかったのは三日後だったと書いてあったと思う。夫のほうはスポーツウェアの店をやっていて、従業員たちは彼が店にこないのを不審に思っていたそうだ。彼らが通報したんだろう」

 セイディはうなずいた。三日間か。腐敗はそれほどひどくはないだろうが、それも暖房を強にしていなければの話だ。どちらにしても、いつものように飛び散った血液や組織にはハエやウジがたかっているだろう。

「明日、まっさきにそっちへいくのか?」ザックがきいた。「最初の実地(ウォーク)検証(スルー)をするのに、おれもいっしょに行こうか?」

「ううん、だいじょうぶよ。カーソンの家がもうすぐ終わるでしょ。そっちへ行って終わらせてちょうだい。そのあと、わたしがトートさんに契約書にサインしてもらってから新しい現場で合流するまでに、それだけの時間はあると思う。彼女がそうしたいと言えばの話だけど……」

「そうするさ。そうでなければ自分でやるしかないんだから」ザックはそっけなかった。

「そうよね。それで、わたしたちにまかせてくれるとして」セイディは続けた。「昼食のあとからとりかかって、遅くまでやる、と」

「なんでそんなに急ぐんだ?」

「今日のうちに片づけられることを明日にのばしちゃだめ、ってお母さんに教わらなかったの?」

「ああ、でもおふくろが言ってたのはおれの部屋のことであって、腐乱死体の汚れにモップをかけることじゃなかったぜ」

 

 

 

〈ゴーストダスターズ〉シリーズ1作目。
 犯罪現場専門のハウスクリーニング業をしているセイディには死者の姿が見える(自殺者をのぞく)。彼らの話をきいてやり、あちらへ送りだしてやったりもする。
 この仕事をはじめたきっかけは、自宅のバスルームで兄が自殺した後始末をすることになり、遺族にこんなことをさせてはいけないと思ったからだ。

 

The Remains of the Dead: A Ghost Dusters Mystery

The Remains of the Dead: A Ghost Dusters Mystery

 


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『ギフトバスケットに殺意をこめて』 デニス・スワンソン

 

 

 作業台として使っている古いキッチンテーブルから一歩下がって、わたしは自分の作品たちをじっくりと見つめた。どちらも激しい思いをかきたてられるものだ。左側のものは、世界がもっとシンプルで太陽の光と無邪気さに満ちていたころの思い出をよびおこし、右側にあるものは官能的な闇とうしろめたい悦びを思わせる。

 ガーバー夫妻の結婚六十周年用に用意した郷愁を誘うバスケットを見なおして、一九五二年の〈サタデー・イブニング・ポスト〉紙のしわをのばし、五十年代の音楽CDをまっすぐにしてから、ソックスモンキーのぼうしに「アイクが大好き」と書かれたボタンをピンで留めた。ペパーミントの棒キャンディとリコリス味のチューイングキャンディを入れた袋やビー玉を詰めたメッシュバッグ、カズー笛などを詰めこんだら、あとはわたしのトレードマーク――ぴったりな本一冊――をまん中にセットするだけだ。ここは『ノーマン・ロックウェルのアメリカ信仰』しかないでしょ。

 ガーバー夫妻のバスケットに満足したところで、初めての結婚記念日を迎えるカッスラー夫妻のバスケットのほうに注目した。自分の作品をよくよく見なおしてみた。なにかびっくりするようなものが必要だ。ふたりには熱く情熱的なものを、と頼まれている。というわけで、まっ赤なシルクの目隠しと黒いサテンのパンティならどっちのほうが刺激的かしら? いまのところ漆黒のレースでできたショールのひだに包まれておさまっているのは、シナモンのマッサージオイルが一びんとチョコレートがけのイチゴが一箱、それに官能的なイラストで描かれた『カーマスートラ』だ。

 目を閉じてこのギフトを受けとるカップルを思い浮かべてみた。夫のほうは地元のカントリークラブでゴルフを教えているレッスンプロで、妻は体育の先生。ふたりともかなり体を動かすタイプだ。空中ブランコのバーがバスケットに収まりそうにないのが残念だ。

ドアにつけたベルが鳴る音に思考を中断された。しまった! ドアにはカギをかけてあるはずだったのに。《デヴローのダイムストア&ギフトバスケット》が月曜日に店を開けるのは正午だ。それまでの時間に、あれやこれやのガラクタを見えないところにかたづけ、犬好きのティミー・ハーパーのために『名犬ラッシー』の初版をメインにした誕生日のびっくりおもちゃ箱を用意するつもりでいたのに。

エロティックな創作を恥じるわけではないけれど、ちょうどいま店に入ってきた不機嫌そうな中年男性みたいな人たちとは、わたしの芸術観について話し合いたいとは思わない。このところ運が下向きなことを思うと、この人はたぶん、新しく町にやってきた牧師か、もっと悪いことにわたしのことなんてもう古い話題だということを知らないレポーターかもしれない。

 男がまばたきもせずにそのどんよりした茶色の目で作業台をみわたし、いただけないとばかりに白く細い線になるほど唇を引きむすんだところで、あわてていった。「すみません、まだ開店前なんです」

 男はひくくうなると、ペーパーバック本が入ったラックやスツールが三つ並んだソーダファウンテン、それにお菓子のガラスケースの横を通ってずかずかと一直線にわたしのほうにやってきた。一歩一歩踏みしめるような、何ものも彼を止めることはできないといわんばかりの歩き方だ。ファッジやトリュフ、その他おいしそうなお菓子が誘うようにディスプレイされているのには目もくれないというのは、まずい感じだ。チョコレートに目もくれないってどういうこと?

「店は閉まってるんです」もういちど言った。「十二時にまたいらしてください」だんだん怖くなってきた。

 男はわたしの言葉を無視して、カウンターのパネル扉を押しあけた。

 これは危険だと思ったわたしは声をとがらせた。「奥には入らないで」男のでっぷりした胴体ともったいぶった身のこなし、けわしい表情のせいで、性根の曲がったハンプティ・ダンプティにそっくりだ。

 わたしが必死でジーンズのポケットを探って携帯電話をさがすあいだにも(あいにくと断りもなしにサボったらしい)、ハンプティはどんどん進んできて、ついに作業台のすぐ向こうにまでやってきた。

 フォーマイカのテーブルに両手をついた男がすごんだ。「デヴロー・シンクレアか?」

 ほんの一瞬、男が前かがみになったときに、見覚えがあるような気がしたけど、知っている相手なら名前を聞いたりしないだろう。あるいは‥‥。やだ! 召喚状送達人なの? それなら前の職場のゴタゴタのあいだに、もう十分なくらいお目にかかっている。

 なんと答えようか決めかねているうちに、男はごつい顔をしかめてもう一度きいた。「デヴロー・シンクレアか?」

「はい」いったいこいつは何が目的なの? 動揺したのをさとられないように、競争の激しい投資コンサルタント業界にいたころに身につけた〈甘く見ないでよ〉というとっておきの表情をつくって聞きかえした。「どんなご用件でしょうか?」

「おれはウッズ刑事だ」

 なるほど、どうりで体に合わない安物の紺のスーツに、ぴかぴかに磨きあげた黒い靴をはいてるわけだ。「身分証を見せていただけますか?」この町の警察では刑事を雇っていないのはたしかだ。なんといっても、わたしは警察署長のことも警官たち全員のこともしっているのだから。ということは、この男はどこからきて、人口が四〇二八人のミズーリ州シャドウベンドでいったい何をしているのだろう?

 ウッズはジャケットの内ポケットに手を入れて使いふるした革のケースをとりだした。それを開いて、片側にカンザスシティ警察の身分証明書、もう一方に金のバッジがついているのを見せた。

 わたしは携帯電話をさがすのをやめた。カンザスシティは四十マイルも離れていて、朝のラッシュ時ならたっぷり一時間以上かかる。カンザスシティの警官がわざわざやってくるようなことを何かしたかしら?

 彼は淡々と言った。「ジョエル・エアーズに頼まれてギフトバスケットを作ったのはあんただな」

「そうですよ」バスケットにしろジョエルにしろ、いったいなぜ警官が興味をもつのか、その真意はなんなのかと考えをめぐらせながらゆっくりと答えた。「婚約者にあげるバレンタインデーのプレゼントでした。土曜の午後に受けとりにきました。シティでロマンティックな週末を過ごす予定だったそうですよ」カンザスシティには大人のおもちゃを禁止する倫理法みたいなものでもあったのだろうか。

「ミズ・エアーズのことはどのくらい知ってる?」

「たいして知りません」それはほんとうのことだ。少なくとも、厳密にいうならば。「注文するためにここへ来たときに初めて会いました」わざわざ付け足しはしなかったけど、シャドウベンドみたいな田舎社会では、ジョエルのような人について何も耳に入れずにいることは難しい。彼女は去年の夏にふらりとこの町にやってきて、クリスマスになるころには町でいちばん結婚相手にしたい独身男性をものにしていた。「彼女になにかあったんですか?」

 ウッズ刑事はわたしの質問を無視した。「だが、彼女の婚約者についてはずっとよく知ってるよな?」

「高校がいっしょでした」ノアになにかあったの? 彼にはずいぶんと昔にひどいあつかいをうけたけれど、それでも胃がしめつけられるのを感じた。「どうしてドクター・アンダーウッドのことをわたしなんかに聞くんですか? 彼とジョエルが事故にでもあったんですか?」

「ただのクラスメートだった誰かさんのことをずいぶん心配するんだな」ウッズ刑事はいまにものどを鳴らさんばかりに言った。「でも当時はそれ以上の関係だった。違うのか?」

「十代のころはつきあってました」わたしとノアとの関係についてどこで知ったのかはわざわざ聞くまでもない。過去にあったことが完全に許されたり忘れられたりすることがぜったいにない小さな町では、秘密なんてそうたくさんはないものだ。だれかが大喜びでノアとわたしのことをウッズ刑事に話したにちがいない。

「あんたの父親が」――ウッズは小さなノートに目をやった――「カーン・シンクレアというのが、刑務所入りするまでのことだな」ハンプティ・ダンプティに似た印象はうすれて、ウッズがあごを突きだすようすがオスのチャボみたいに見えてきた。「そのときにノア・アンダーウッドに捨てられたあんたは、おれが聞いたところじゃ、いままでずっと未練を引きずってるそうじゃないか」

「ばかばかしい」わたしはグリーンのスエットシャツのえり元をひっぱりながら、前の仕事を辞めてから救世軍に寄付してしまったパワースーツを着ていればよかったのに、とふいに思った。「真剣な交際なんてものをするにはふたりとも若すぎる、ってことがはっきりしたのはかなり前のことよ。その後は何人もの男性とおつきあいしたわ」その後のわたしの人生を変えてしまったあの日の苦しみを思い出したせいで手が震えるのをおさえようと、両手をにぎりしめた。父に過失致死と規制薬物所持の有罪判決が下ったあの日、母はわたしを置きざりにし、永遠の愛を誓ってくれた少年もわたしのもとを去っていったのだ。

「それでも、三十近くにもなって、まだ結婚はしていない」ウッズの表情は、祖母が飼っているシャム猫を思いださせた。わたしがかわいがっていたペットのアレチネズミを食べ終えたときのあの顔にそっくりだ。ウッズがせっついた。「ライバルのために大人のオモチャが入ったバスケットなんか作らされて、腹が立ったんじゃないのか」

 露骨ないいかたをすればわたしが困るだろうとでも思ったのなら、前の職場でわたしがどんな状況にさらされていたのかをまったく知らないのだろう。だとしても、とにかく逃げだしたいというか、できることなら消えてしまいたくなって、視線が裏口のほうにすいよせられた。だけど、一流大学でMBAを取得し、ガラスの天井のおかげで自分の立場が護られていると考えるような卑劣な男のもとで働いていたわたしが、この程度でへこたれるわけがない。

「だいたいね」なめるんじゃないわよ、という気持ちを声にこめて言った。「わたしが結婚してるかどうかなんてあなたに関係ないでしょう。それと、これがいったいどういうことなのか説明してもらうまでは、もう質問にはこたえません」

「なんならうちの警察署まで来てもらってもいいんだぜ」

「上等ね」ゲームをすすめるには核心に飛びこむのもひとつのやりかただ。「弁護士に電話してそっちで落ち合うことにするわ」むかしからいじめっ子は嫌いだけど、こいつにはほんとうに腹が立った。

 にらみあったまま数分がすぎてもわたしが黙ったままでいると、ウッズはあらっぽく息を吐いた。「土曜の夜、ジョエル・エアーズが死んでるのが見つかった」

 

 

デヴローのダイムストア・シリーズ第1作。

ミズーリ州の田舎町を舞台にしたコージーミステリ。デヴロー(デヴ)は投資コンサルタントを辞めて小さな雑貨店を経営している。元恋人ノアの婚約者がホテルで殺され、凶器がデヴの用意したバスケットに入っていたものだったため犯人と決めつけられるが、弁護士のブーンと警察署長の娘ポピーという親友二人の協力で真犯人さがしにのりだしていく。

現在4作目まで発売中。

 

Little Shop of Homicide: A Devereaux's Dime Store Mystery

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